はじめに

こんにちは!!

1人の女性がエンジニアになるまで

こちらの記事の影響を受けて私の例を紹介したいと思います!

小学校

国語がとにかく得意で、本を読むのが好きでした。

昔から将来の夢がなくて困っていたのでとりあえず小説家ってことにしよう、と思っていました。

これがのちに黒歴史を産むことになります。

幼き私

中学校

小説家になりたいことにしている私は

自分が小説家になれるかどうか知りたくて小説の断片を書いて母親に見せました。

その小説の内容は・・・詳しく覚えていないんですが・・・まあ、厨二病全開なやつで・・・ええ・・・

それをみた母親は「いいんじゃない?」くらいの反応でしたけれど、

母がツイッターやってたら絶対 「うおおおおお娘が厨二病全開の小説書いて感想求めてきた〜〜〜〜〜赤飯たくぞ〜〜〜〜〜」

って呟いていたと思います。こわい。

しかしこの時の母親の反応と、そもそも全く小説がかけなかったということで小説家の夢は早々に諦めました。

友達がほとんどいない、部活も入っていない、そうなると勉強するか絵を描くかしかないみたいな生活を送っていたので勉強はそこそこできていました。

頭いい子たちが通う私服高校にあこがれたものの、そこは落ちて第二志望の高校に進学しました。

中学生時代

高校

実家は昔貧乏だった(何かとお金がないという話をされていた)ので具体的な夢がないまま 「とにかく楽して稼ぎたい」 を標榜するようになります。

楽して稼ぐ方法はわからなかったものの、勉強をとにかく頑張ればその目標に近づける気がして勉強は頑張っていました(部活もろくに参加せず、友達もほとんどいなくて相変わらず暇であった)

文理選択の際、何度かいじめられた経験から「女性ばっかだと怖い」「英語が得意なので、文系に行くよりも理系に行った方が得意を活かせるのでは」と思って理系進学を決めました。

本当は通訳や翻訳者、司書にも興味があったのですが、どうやら「楽して稼ぐ」には理系の方が近そうだったというのもあります。

しかし「女性ばっかだと怖い」がその後「女性がいなくて辛い」になるとはこのとき知る由もなかったーーー fin.

中学辺りからぼちぼち触っていたパソコンですが、高校になってからホームページ作成をはじめるようになります。

自分の絵を描いて、HP作成して、アップして・・・ そう!私は古き良きオタクだったのだ! いや今もオタクだけれど!

インターネット老人会

HTMLタグ打ち職人の経験を経て「サーバーにソースをアップするとホームページができる」、くらいの知識は自然と身についていきました。

「大学行くなら国公立のみ」という実家のルールと、「フェスにいきたいので東京に近い」という個人的希望で進学先を絞っていきました。

学部は色々迷っていたのですが、ターミネーターに感化された私は 「もし世界を終わらせるロボットができる未来があるとしたら私はその開発者になりたい(キリッ」 という厨二病(継続罹患中)な理由で工学部にしました。

工学部が何するかよくわかっていなかったのですが、「同じ大学に文系学部もあるしどうしてもあわなかったら転部しよう」と思っていました(後に転部を考えるもめんどくさくてやめる)。

ちなみに高校に入ってからずっと物理が苦手でした。 高校で物理を乗り越えればもうこの先物理を勉強しなくていいと思っていました。 アホですね。

高校生時代

大学

私は一次試験二次試験共に同じ大学を受けたのですが、一次試験は不合格、二次試験で合格しました。

二次試験は面接もあったこともあり、「きっと女性だから、女性の数を増やしたかったから合格したのだろう」と思うようになります。

別に誰かから特別そう言われたわけではありません。

けれど 「なんで面接に合格したかわからない」、加えて 200人中女性10人みたいな状況 に置かれると、 「これ私がここにいなかったら女性比率ってどうなってたんや・・・」

ということからそういう疑念が浮かんでくるわけです。

更に同じ学部の男子には「中途半端に女子がいると迷惑、男子校の方がましだ」と言われたり、工学部だとあかすと学部外の男女問わず心のシャッターがガシャーンだったり。

とにかく 「女性が工学部であるということはどこにいってもマイナスにしか作用しない」 と感じていました。

どこに行ってもマイナスにしかならない!!!しかしその思いが同じ学部の女性同士の結束を高めるわけです!!!!

おかげでその時仲良くなった子とは今も緩く長い付き合いがあります。同じ釜の飯を食った仲間。

ようやく現実に気づいた

学業に関しては線形代数・解析学・電磁力学(必修だったのに落とした)をとったりCADを触ったりホームページを作ったりしました。

実験の授業が結構大変(実験終わるまで帰れま10)でしたが今思い返すと結構楽しかったですね。 オシロスコープ使ったりフリップフロップ回路使ってカウントアップ装置?作ったり、ロボットアームを制御したり画像解析のプログラムを書いたり。

ロボット作りたいといって大学に入ったもののロボット作りには物理が必要だと分かった私は早々に諦めました。

プログラミング楽しそうなのと、数学が割と好きだったので機械学習系の研究室に入りました。

就活をしていたものの相変わらず夢もなくぶれぶれのぶれまくり、

食品業界からメディア系、メーカーなどとにかく色々受けまくっては落ちていました。

どこにも受からなかった私は院進学を決めます。学費を出してくれた親ありがとう・・・

大学院

ただでさえ女性比率少ないのに更に少なくなる大学院!!!

女性少ない方がいいと思って理系を選んだ結果、女性が少なすぎて辛くなる。人生〜〜〜!

研究室では WindowsやPPTが禁止されていたり 、k-means法をC言語で実装したり、

今思うとソフトウェアエンジニアの土台ができてきたのがこの頃な気がします。

ちなみに当時はemacsしか知らなかったのでemacs使っていました。この時苦手意識が芽生えてしまい今はvimmerに…

所属していた研究科は結構面白くて、社会工学系情報系工学系が混ざっていて色々な授業を受けることができました。

例えばハッシュ値を手で計算するテストがある授業、「リスクとは何か?」を学ぶ授業。

同期も色々な研究をしている人がいたので、話を聞くのが面白かったです。ハザードマップを作っていたり、原発の研究をしていたり。

就活は相変わらず夢がないままでしたが、プログラミングちょっと楽しいし 黒い画面でタカタカタカッターン!やるハッカーかっこいいし (多分ブラッディマンディとかに影響されている)

ソフトウェアエンジニアがいいかなと思っていました。物理苦手だしメカ系はちょっとね・・・

また就職先は 女性が多そうだからと言う理由もあり、大企業を選びました 。やっぱ母数多いと女性の絶対数は増えるはずだよね。うん。

大企業の総合職技術系採用だったので、採用の時点ではどういう仕事になるかは決まっていません。

就職:1社目

大企業だから女性の絶対数が増えると思った! しかし配属された先では400人中女性が10数人みたいなところだった! 人生〜〜〜〜

配属はソフトウェア開発の部署でした。

素人状態からスタートし、 「何がわからないかわからない」 私と 「何がわからないかわからないがわからない」 メンター。

メンター忙しすぎ問題もあり半年くらい学習という名の社内ニートでした。

わからなすぎて「オブジェクト指向が絶対わかる本」を読んだけれどわからなかった。

会社の方針として「実装はコストがかかるので外部に依頼する」だったため社内にはプログラミングの経験を積める仕事はあまりありませんでした。

基本Wordで設計書を書いたり、Excelで工程表を管理したり。

たまに運良くコードをかける仕事をもらったり、ちょっとしたツールを作ったり、上のお達しで異動したりだったので

技術もキャリアも一貫性がなくJava, Ruby, Node.js, Python フロントエンドもサーバーサイドも色々バラバラにやっていました( SOAP, IE6…ウッ )。

どれもこれも中途半端に何も知らないという感じ。 Excelはマクロ組めるようになっていた。 YEAH!

感謝

いよいよこのままではソフウェアエンジニアとしてやばいと思うも、

フロントエンドもサーバーサイドも基本外部委託だったため、手を動かせるのはインフラだけでした。

といってもAWSだったので、そこまで深いインフラの知識がなくても仕事は始められそうということで手をあげてインフラエンジニア(と名乗っていいのか?)になりました。

優秀な後輩から色々学びながら徐々に会社との音楽性を確認し・・・方向性の違いで辞めました。

(私は直接性別を理由に嫌な目にあったことはないです。

あおいのこそこそ話!なんと私がいた部だと女性が管理職になれないので異動して管理職になったケースがあったみたいよ☆今は知らないですが☆

感謝2

就職:2社目

ただいまサイボウズ株式会社というところでSREやっています。

といっても今はもっぱらアプリケーションの基盤移行作業でひたすらElasticsearchのドキュメント読んだりたまにKubernetesに触っています。

た、の、し、い〜〜〜〜〜!!!!!!

女性エンジニアの数は今までの中で一番比率が高いかもしれない。

エンジニアに限らず女性と接する機会も多くてSUPER HAPPYです。人生〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

そういや楽して稼ぐというところからスタートしたわけですが、途中書いた通り 楽して稼げる人生なんてない! はい!

けれど自分が楽しいことをやってお金をもらうっていうのは楽して稼ぐことに一番近かったりするのかな。

俺たちの旅はまだまだ続くぜ!あおい先生の次回作にご期待ください!

次回作にご期待ください

終わりに

いかがだったでしょうか!?

長くなっちゃいましたね。すいません。

研究でも仕事でも特に目立った結果を残せていないですが、それでもたのし〜〜〜よ〜〜〜〜!!!

いやもちろん周りが優秀すぎて悩むこと暫しですけどね! 転職して1ヶ月くらいは毎日悩んでた。悩んで夜ぐっすり寝た。

ちゃんと書いてはいないですが、大学面接合格以来最近まで割と要所要所「女だから下駄はかせてもらってるのかな。下駄履かせてもらってる分周りより自分は劣るんだな。」とネガティブに思っていました。

結局面接で合格した理由は今もわからないですが、もし性別を理由に面接に合格したのだとすると、それはもしかして公正さによるものだったのかもしれないですね。

平等と公正

ANGUS MAGUIRE // INTERACTION INSTITUTE FOR SOCIAL CHANGE

左が平等、右が公正

まだまだ一部理系学部や一部エンジニア職では女性が圧倒的に少ないです。

同じスタートラインに立てているとしても、まだまだそこに立つまでのハードルが全然違うというのが現実です。

こういった現状を変えるにはある程度公正さが必要だと思います。

詳しくは以下をみてくださいね!

IT分野のジェンダーギャップ_WomenTechMakersTokyo2020講演資料

あと!あおい!自分が勉強できないのは単に勉強していないからだぞ!!!もともと暇で勉強して成績良かっただけだから勉強しなかったらできないぞ!!!

できる人たちには全く及ばないけれど、それでもそう言う人たちに憧れて今も日々勉強です。

そして私は大学での経験から長らく自分が工学部であることを隠してきました。

でも後世の人には同じ思いをしてほしくない!!

公正さが必要なくなるくらい女性エンジニアが増えることを願って!!!

感謝3

追伸

古き良きホームページを思い出しながら作った過疎ホームページはこちら:https://haraheru.com

SRE